居合について

「居合」ときくと、どのようなイメージでしょうか。
時代劇のような激しい打ち合い、それともアニメの戦闘シーンでしょうか。
 居合の歴史は「永禄年間末期」までさかのぼります。「永禄」は1558年から1570年ですので、今から450年程前のお話になります。奥州(現在の福島・宮城・岩手・青森の4県と秋田県の一部)最上家の家臣であった「林崎甚助重信公」が「林崎明神(現在の山形県、林崎神社)に参籠一百日にして夢想剣を得、林崎夢想流又は重信流と称する居合を始む、又長柄の刀を工夫して当時流行を見た。世に居合中興の祖と称せられる。(無双直伝英信流兵法 地之巻より抜粋)」その時の刀の長さは三尺二寸(約97センチ)の太刀で抜刀したともあります。現在は二尺二寸(約66.6センチ)から二尺七寸(約81.8センチ)ぐらいの刀でお稽古されるていることが主流なように思いますので、とてつもなく長かったことがわかります。
 この刀を、どのようなシチュエーションで、どのようなメソッドで斬るのかが、ひとつひとつの「業(わざ)」に凝縮されており、450年も昔からの先人の工夫が受け継がれ、現在に伝えられています。そのメソッドは流派によって違います。柏原養誠館では「無双直伝英信流」という流派を学んでいます。「型稽古(かたげいこ)」というお稽古で、この「業(わざ)」を抜いていきます。「組太刀(くみたち)」といって、抜いた後にどのように捌くのかを木刀でお稽古することもあります。
 さて、刀を抜くということは「相手の命を奪う、もしくは自分の命をかける」、「大義名分」があるということです。武士はストリートファイターではありません。突然、道に現れて攻撃する、攻撃されるゲームではなく、抜くには「命をかけるほどの理由」があるということです。
 「居合の極意とするところは常に鞘の中に勝を含み刀を抜かずして天地萬物と和する所にあり。(大日本居合道図譜 著者:河野百錬先生 より抜粋)」
刀を抜いてしまえば、どちらかの人生が終わってしまいます。また、勝ったからよいという訳ではなく命を奪ってしまった責任をとらなければなりません。そんなことになる前に、日頃から困難を乗り越える知恵と、自分とはその方法や考え方が違った相手とも認めあう「和」を大切にしていけることこそが、究極の目的ということになります。
 刀を抜いて「斬る」お稽古をしているのに、「和」を大切にするという不思議な世界。一緒にのぞいてみませんか?